月を撮ること

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平成29年12月4日 午前0時47分の月。

その日がスーパームーンだったことは知らず、日付が変わってすぐに送ってくれた誕生日メッセージの中に書いてあった。そこで、外に出て撮ってみたものの、スマートフォンではやはり限界。つまり、火の玉みたいにぼんやりとした、白い球体に写ってしまった。

アプリケーションの中から使い易そうなものを見つけ、試行錯誤の末に撮れた月のワンショット。なんとか兎の姿も確認できる。

出来映えについて欲を言い出せばキリがないのだけれど、出来映え云々よりも、人は互いに離れていても同じ月を見ているということ、また、同じ月に見られているということに、僕は妙な安心感を感じた。それは、年齢を重ねる毎に別離のほうが多くなっていくと考えているせいかもしれない。そして誕生日にメッセージを送ってくれた彼女もまた、新しい暮らしの中でこの月に見られまた、この月を見ていた。

そのようなことを、ぼんやりと考えているうちに、これを機に月を撮ってみようと思い始めた。

雲が無ければ、どこででも月は見えるから撮ることは可能だ。ただし、どこで撮るのかを考えたときに、同じ場所で毎日撮るのも良いが、色々な場所で撮ってみたいと思った。それも、日常の中で見える月を。

僕は今、京都に住んでいるのだから、所謂観光名所と呼ばれる場所ではなく、普段の生活をしている場合から撮ってみたい。なせなら、学生時代、アルバイト時代、そして今も、様々な出会いがあるが、しかし、その数だけ別離もまた必ずあるということを、僕は京都の町に教えられた気がするからだ。

京都で育ち、様々な理由で京都を離れて暮らす人や、学生時代を京都で暮らし故郷に戻った人が、もしかしたらその町を歩いていたかもしれない。そして京都で育ち生活し、京都の町しか知らない人にとっては見馴れた町がいつしか思い出の町になるかもしれない。

夜空を見上げれば月が見え、月に見られていることは凡庸さしかないのかもしれないが、その凡庸さが自分を照らすランプになる時が、夜という時間だと考えている。